心箋【プラトン哲学】イデア論
こんにちは!心食セラピストのhifumiです。
栄養学、心理学、量子力学、哲学、生理学をベースに、
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今日は古代ギリシアの哲学者、プラトンの「イデア論」についてです。
「イデア論」はプラトンの中心的概念で、完全な真実の世界をイデア界とし、その影が現実にあるものだと考えました。
プラトンはイデア論について、中期においては次のように説明しました。
「我々の魂は、かつて天上の世界にいてイデアだけを見て暮らしていたのだが、その汚れのために地上の世界に追放され、肉体(ソーマ)という牢獄(セーマ)に押し込められてしまった。そして、この地上へ降りる途中で、忘却(レテ)の河を渡ったため、以前は見ていたイデアをほとんど忘れてしまった。だが、この世界でイデアの模像である個物を見ると、その忘れてしまっていたイデアをおぼろげながらに思い出す。このように我々が眼を外界ではなく魂の内面へと向けなおし、かつて見ていたイデアを想起するとき、我々はものごとをその原型に即して、真に認識することになる。」
有名な例で「三角形のイデア」というものがあります。
現実世界の三角形は一見完全なものに見えても、拡大し原子レベルになれば丸みを帯びる事になります。
このように、現実世界において完全に◯◯という事はあり得ないと考えられ、同時に完全な◯◯はイデアだと想定するのが「イデア論」なのです。
プラトンはこうも言いました。
『洞窟の奥深くに捕らえられている囚人が、子供の頃から手足も首も縛られたまま、洞窟内の火の光でできた壁に映る影しか見ることができないとすれば、その影が真実のものと信じるだろう。プラトンは現実のわれわれがその囚人と同じだという。つまり、私たちが現実に見ているもの(経験できること)は真実ではなく、影にすぎず、それは生まれたり消えたり、不完全なものである。囚人が縛めを解かれて上に登って行って洞窟の外に出たとき、初めは目がくらんでなにも見えないが、目が慣れるに従って影では無いもの、そして太陽そのものを知ることができる。それが真実であり、普遍的で完全なイデアである。』
(世界史の窓さんから引用)
今私達が見ている現実が真の実在ではなく「影」であるという考えは、なかなかすんなり受け入れられるようなものではないと思います。
しかし私たちは、同じ世界を見ていても全く異なる印象を受けたり、全く異なる事を感じたりします。
また全ての存在はわずかであっても変化をし続け、永遠に同じ存在であり続ける事はありません。
そう考えると、プラトンがここで示している確固たる実在「イデア」以外に確実な知というのはありえない、という考えも受け入れられるような気がします。
イデア論は宗教とつながりをもって捉えられる事も多いですが、イデアの世界に強く憧れる哲学者の考えを辿っていくと、死後の世界が一般的に捉えられているような「無の世界」「絶望の世界」ではないかもしれない、という可能性を感じることはできます。
哲学は「知を愛する学」です。
様々な考えや学問、知識はただ否定しても発展しません。
そういった意味でも心理学者や哲学者の考えを知る事は、意味があると感じます。
…と、今日はここまで。
読んでくださり、ありがとうございました!